2017年9月20日水曜日

クリルスキー教授とのランデブー



今日はパリに出た
元パスツール研究所所長でコレージュ・ド・フランス名誉教授のクリルスキーさんとお会いするためだ
今、翻訳している本の著者でもある

今朝はトゥールの街行く人の殆どがコートやダウンのようなものを羽織っていた
わたしは夏の間も背広で通しマイノリティであったが、今日も背広でマイノリティであった
トゥールの駅で時間があったので駅の中のカフェに入る
すぐ横の席には二人の老紳士がランデブーである
お二方とも歩行がままならなくなっている
人生を感じる景色であった

時間通り、モンパルナスに着いた
人ごみの中を歩いている時、左肘に硬いものが当たった
振り返ると、迷彩服の男が抱えている銃であった
サンジェルマン・デ・プレまで出て、馴染みのカフェに入る
すっかりおしゃれになっている
マネジメントが変わったのかと訊いてみると、マネジャーを指して、以前と何も変わらないという
内装をすべて変えたのですねと言うと、マネジャーがサムスンのようにねと返してきた
目に見える日本製品がどんどん減っているようである


クリルスキーさんとの待ち合わせはコレージュ・ド・フランスであった
まず最上階の素晴らしい見晴らしの部屋に案内される
パリの町を殆ど360度の視界で見ることができる
気分が高まったところでカルチエ・ラタンのカフェへ
ワインとビールで貴重な情報と興味深いお話を伺うことができた

最初に、翻訳の労をねぎらっていただいた
今回、翻訳というものがなかなか大変な作業であることが分かった
始めたのが2015年の初めからなのでもう2年が過ぎようとしているが、まだ校正中である
これだけの間一冊の本に付き合っていると、いろいろなことに気付いてくる
まず、ざっと読んだ時には理解していなかったことが如何に多いかが分かる
それから、著者の頭の使い方が手に取るように分かるようになる
特に、論理の流れをどのように作っているのかなどは実に興味深い

これは以前にも触れているが、翻訳はほぼ不可能であるということも見えてくる
結局のところ、翻訳は訳される側の言語の問題に帰着する ことも分かる
アイディアは著者のものだが、出来上がったものは訳者の作品とも言えるだろう
原著とは全く別物になるという印象があるからである
それほど訳者の役割は重いということになる
哲学的な要素が加味された場合は尚更である

クリルスキーさんは定年後の活動としてRESOLISというのをやっていると聞かされた
紹介されたHPを見ると、本格的である
ソルボンヌ大学向かいのアパルトマンの一室にオフィスを構えているようだ
社会とのコネクションを視野に入れているとのこと
ポイントを Philosophie de l'action という言葉で表現していた

それから日本との接点が意外に多いのに驚いた
日本パスツール財団の前身である日本パスツール協会の創設に関わったことは知っていた
その他、コレージュ・ド・フランスと日本の大学の連携や大学のアドバイザリーボードもやられていた
日本の首相や都知事などとも会ったことがあるようだ
話の中に、Jean-François Sabouret という日本に詳しい学者の名前も出ていた

また、わたしの仕事を説明すると、興味を示していただいた
有難いことに、これからも議論をしていくことになった
フランスの科学と哲学を結ぶような研究機関のことも紹介していただいた
医学と哲学、科学と哲学などはまさにフランスの伝統と言ってもよいだろう
それがないところでは何かが欠けているという認識が生まれることになる
哲学的視点は極めて重要であるという点で意見の一致を見た

その話の後で、わたしが提唱している「意識の三層構造」についても話してみた
この見方は非常に説得力があるようだ
それ以降の会話がわたしの用語を使って進んだのには驚いた
日本の政治家がどの層を使っていると見たのか、興味が尽きないところではある
今回の翻訳した本などは第三層の動員が必要になるので、どれだけの方に受け入れられるのか
こちらも興味深いものがある

面白かったのは、イタリアの友人から聞いた話として紹介されたものだ
Philosophe municipal がいる自治体があるという
市や町の役所で公務員として働く哲学者のことだろうか
この話が本当であれば、町のお抱え哲学者は一体何をしているのだろうか
予約制で住民と世界の捉え方や哲学的問題について議論したりするのだろうか
こういう仕事であれば、やってみたいものである
ただ、住民にそれだけの余裕があるのかどうかが問題になるだろう
日本であれば、すぐに予算の無駄使いと批判を浴びそうではある
このような話が出てくるのがヨーロッパなのだろうか
そして、それを面白がるという感覚が何とも言えず良い


今回は省察すべき問題をいろいろ提起していただいた
お陰様でこころが満ちた状態で帰路につくことができた
これはランデブー前と後で何かが大きく変わったということを意味している
実は、程度の差こそあれ、よく観察しているとどんな前後にも違いはある
一日の始まりと終わりも例外ではない
その違いを味わうことこそ生きていることを確認することになるだろう

まさに、J’observe donc je suis である






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